2009年10月5日月曜日

平安時代の暦

古文とは直接関係しないのだが、気分転換もかねて平安時代の暦についてちょっと調べていた。閏月とか、「年の内に春は来にけり」とはどういうことなのか。古文に出てくるこうした日時や節気の表現がどういうものなのかいまいちはっきりしなかったのだけど、だいたいわかったように思う。

平安時代に使われていたのは、宣明暦という暦である。暦マニアではないので、その制定の経緯とか精度については省略。で、この宣明暦というのは太陰太陽暦である。太陰太陽暦というのを、僕はいままで「旧暦」という言葉であいまいに把握していたが、これはかいつまんでいうと、こういうことになる。

  1. 季節のひとめぐりが一年になるようにする。これは当たり前のことのように思うけど、たとえば乱暴な話 1年 = 365日と日数を固定したような暦だと、季節と年はだんだんずれてくる。そういうことが起こらないように工夫されている暦であるということ。
  2. 月(天体のことね)の満ち欠けが月(こっちは日時の区切りかたのほう)の区切りを決定する。つまりその月の1日(ついたち)はかならず新月でありその月の中頃はいつも満月である。ひと月の長さは29日間か30日間のどちらかになる。前者は小の月、後者は大の月と呼ばれる。
  3. 一年の区切り目は月の区切り目に合わせられる。1. でいう季節のめぐりというのは太陽の運行による現象で、2. のほうは月の運行の結果によるものだから、両者はたがいに関係がない。したがって 1年 = nか月と定量的に決めてしまうことはできない。しかし、その日からが年の変わり目ですよ、という「その日」は月の初めの日に合わせられる。一月一日がいつもその年の第1日である。
  4. 結果として、一年は12か月か13か月のどちらかで運用されることになる。一年が13か月になる年は、ある理論(後述)によってそのうちのひと月が「閏月」とされる。閏月は前の月と同じ番号をつけて、「閏五月」などと呼ばれる。

太陽は天球上の黄道(黄道の説明は省略。ごめん。)を一年かかって一周する(この言いかたは同語反復的だけど)。北半球で太陽の位置がいちばん低くなる時が冬至で、宣明暦では冬至から次の冬至までを基準として一年を定義している。つまり、一年は12か月だったり13か月だったりするが、その一年間に冬至が二回入るということは絶対にない。一方、たとえば立春などは、ある年の年頭と年末の二回に含まれているということが起こりうる(例、寛弘四 (1007) 年)。

冬至から次の冬至までの期間を24等分して、それぞれの時点に名前を付けたのが二十四節気である。二十四節気は古語辞典の付録なんかだとたいてい春の立春から記載されているが、上の説明からすると、暦学的には冬至から始まっているということになる。二十四節気には中気と節気というのがあって、これは冬至が中気でそこから順に節気、中気と繰り返す。

いま、ある年の月の区切りが計算で得られたとして、それを記したタイムライン上に二十四節気の日時の各点を記していく。その結果、中気を含んでいる月が正式の月である。年によっては中気を含まない月ができるが、その月は閏月と呼ぶことになる。そして、冬至を含んでいる月が十一月であると定義されている。以降順に十二月、一月、二月……と、閏月を除いて割り振っていく。

太陰太陽暦の概要図。
(この図は死ぬほどがんばって作ったのでよく味わって見ていただきたい。)

以上が太陰太陽暦の暦の作られかたの概要だが、これを見ると、西暦の数字だけ見てその年の月の割り振りを簡単に決定できる太陽暦(グレゴリオ暦)はなんて簡単ですばらしいんだろうと思える。太陰太陽暦には宣明暦の他にも儀鳳暦とか大衍暦とかいくつかの種類があるが、やってることはどれも基本的には同じことで、違いは各種計算に用いる定数(観測精度の向上によって変化していく)や月齢計算に微妙な補正を入れるかどうかといったようなことである。

続く

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